横浜地方裁判所 昭和39年(ワ)606号 判決 1967年3月01日
原告 市川久夫
被告 日本食塩製造株式会社
主文
一、原告と被告との間に、原告を従業員とする雇傭契約関係が存在することを確認する。
二、被告は原告に対し、昭和四〇年八月二五日以降毎月二〇日限り一カ月につき金一八、一七八円づつの割合の金員を支払え。
三、訴訟費用は被告の負担とする。
事実
第一、申立
原告訴訟代理人は主文同旨の判決を求め、被告訴訟代理人は「一、原告の請求を棄却する。二、訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求めた。
第二、主張
原告訴訟代理人は請求原因として、
「一、被告は肩書住所地に本社及び工場を有し、食卓塩等の製造販売を目的とし、従業員約三八〇名を有する資本金五千万円の株式会社である。
原告は昭和三六年一月一七日被告会社(以下、事実、理由欄を通じて単に会社という)に入社し、同年九月、会社従業員中約一八〇名をもつて組織する化学産業労働組合同盟日本食塩支部(以下、事実、理由欄を通じて単に組合という)の組合員となり、翌三七年二月頃組合の職場委員に、同年六月その執行委員になつた。
二、(一) 会社と組合との間には労働協約が締結され、昭和三五年四月一四日に、労使の協力関係―合理化、生産意欲の向上、能率の増進―については会社側委員、組合側委員をもつて組織する工場委員会で事前に協議する旨の覚書が、更に昭和三七年一月一二日に労働条件に変更を生ずる配置転換については、労使協議のうえ決定する旨の覚書がそれぞれ交わされていたところ、会社は合理化の一つとして生産数量の増加に対応するため、会社工場の一キログラム入精製塩包装室に古川式回転型ヒートシール機―略称RHC―という新機械を導入することとし、昭和三八年一月二一日頃これを据付けて運転を開始するに至つた。
組合はこれにつき、合理化並びに労働条件に関係あるものとして前記覚書を根拠に会社に対し事前協議を求めたが、会社がこれに応ぜず一方的実施に移つたので、それを不満として同年二月二五日、当時実施予定の春季斗争の一環としてこの問題の解決に当ることとし、その頃連日組合指導のもとに職場集会を開き、同年三月二日、会社が事前協議に応ずるまで同月四日以降会社との協力関係を解き、始業前の職場討議を行うことを決定した。
組合の右方針に基づき、(イ) 一キログラム職場の女子作業員二三名は、昭和三八年三月四日から一三日に至るまで日曜日をのぞく九日間、始業時刻である午前九時前、組合事務所前で職場討議を行い、昼休みには連日のように職場討議を続け、(ロ) 五〇〇グラム職場の女子作業員三〇名は、同月一五日、昼休み時である午後零時一五分頃から同零時五〇分頃までの間倉庫生産作業場において前記一キログラム職場における問題について討議するための職場集会を開き、原告も中村組合書記長の指示に基づいてこれに参加し、(ハ) 更に、右五〇〇グラム職場の女子作業員三六名は同月一六日始業前職場討議を行つた。
その頃組合執行委員会においては、スト権確立のための討議を続けていたところ、同月一六日、組合と会社との団体交渉により同月一九日に工場委員会において事前協議を行うことになつたため、組合は以後始業前の職場討議を打切ることにした。
(二) 組合は夏季一時金支給問題に関し、昭和三八年六月二七日午後三時五分から無期限ストに突入し、同年七月一日午後五時頃までこれを続行したが、同年六月三〇日―日曜日―午後一時二〇分頃、原告その他の組合員約二〇名が組合の指示により工場前にピケを張つていたところに、会社専務取締役萩原虎雄(後に会社の代表取締役となつた。)が長岐運転手の運転する車で到着した。そこで、原告その他の右組合員は、右両名の入門につき両名と五、六分問答したが、高橋組合執行委員長の指示があつたので素直にその入門に応じた。
(三) ところが、会社は前記(一)、(二)の会社、組合間の紛争に関する組合役員及び組合員の責任を問い、昭和三八年七月二九日組合執行委員長高橋義男、同調査部長木村基を出勤停止七日間に、同青年部副部長柴崎陽子及び同青年部幹事など四名を出勤停止三日間に、その他組合員一七名を本給半日分の減給に、組合員三七名をけん責に各処するなどの大量処分を行い、原告については、(1) 前項(イ)、(ロ)の職場討議は原告がそそのかした職場放棄であり、これは就業規則六六条九号、六五条三号後段、同条六号に該当し、(2) 同(ロ)の職場集会は、職場放棄をさせる目的で原告が主催してなした無届集会であり、これは同規則六六条九号、六五条四号に該当し、(3) 前(二)項につき、これは原告が他の組合員にピケを張らせて、一〇分間にわたり萩原専務の入門を妨害したものであり、同規則六六条九号、一一号、六五条三号後段に該当し、(4) 原告は会社に入社するに際し会社に対し、前勤務先である富田鉄工所の入社年月日を昭和三三年三月二七日であるのにこれを秘匿し、同年四月であると虚偽の届出をし、また、同鉄工所より退社を要求されていた事実を秘匿して会社に採用されたのであり、これは同規則六六条四号に該当するとして、前同日原告を懲戒解雇処分に付した。
(四) しかし、前記解雇事由(1)については、原告が職場討議をそそのかした事実はないし、該職場討議は出勤時刻前に終了したことは前記のとおりであるから職場放棄でもない。同(2)については、該職場集会の主催者は前記のように組合であつて原告ではないし、同職場集会は無届であつたけれども昼休み中の組合活動であり、その場所も会社が特段使用を必要としていない場所であつて、組合としては前記のように斗争中であつた事情からすれば、この程度の使用は会社の施設管理権と雖も組合活動のために制限される範囲内にあるものであり、無届であることのみでは右職場集会を直ちに違法ということはできない、同(3)については、ピケを張らせたのは組合であつて原告ではないし、原告が萩原専務の入門を妨害したこともない。同(4)については、原告は会社へ入社するに際し、富田鉄工所への入社年月日が昭和三三年三月二七日であるのを同年四月であると届出たけれども別に他意はなく、同鉄工所より退社要求されていたこともない。以上のとおりであるから、原告には会社が挙示した前記就業規則の各条項に該当する事実はないので、被告のなした前記懲戒解雇は無効であるし、また、被告は原告が組合の執行委員として、組合の前(一)、(二)項記載の春季斗争及び夏季一時金斗争に際しての正当な行為をなしたことの故をもつて右懲戒解雇処分に出たものであるから、同懲戒解雇は労働組合法七条一号に該当する不当労働行為であり、また同懲戒解雇は、被告が、原告がかねて組合の活動に熱心であることや原告の思想、信条を嫌い、前記斗争に伴う大量処分のかげにかくれて、原告を企業外に放逐しようと意図してなしたものであるから、労働基準法三条、民法九〇条、一条三項に該当する無効なものである。
三、組合は昭和三八年一〇月三〇日、会社及び会社の川崎工場工場長千藤政男を被申立人として神奈川県地方労働委員会に対し、右懲戒解雇の意思表示の撤回、原告の原職復帰、右懲戒解雇や前記組合執行委員長、同調査部長その他に対する出勤停止等の処分が会社の不当労働行為でこれを陳謝する旨の宣言書の掲示等の救済命令を申立てていたところ、昭和四〇年八月二日に右地方労働委員会において会社と組合との間に、和解が成立し原告は右同日限り会社を退職する等の協定がなされた。
そして、会社は同月一六日原告に対して内容証明郵便をもつて原告に対する前記懲戒解雇は同月二日会社、組合間の協定で撤回した旨通告したが、組合執行委員長が、同月一四日原告に対し、「組合は会社との和解で原告の退職を受諾したので、同日付をもつて原告が組合を離籍するよう勧告する」旨通告し、次いで同月二一日原告に対し、「前記離籍の勧告に対して回答がなかつたので、原告は組合を離籍したことになつた」旨通告してきたのに引続き、会社は同月二四日、原告に対し内容証明郵便をもつて、「同月二一日付組合執行委員長名をもつて、原告が組合より離籍した旨通知があつたので、労働協約前文五条一項により同月二四日原告を解雇する」旨通告した。
四、しかし、会社のなした原告に対する右解雇の意思表示は次のとおり無効である。
(一) 被告が右解雇の根拠とした労働協約前文五条には、「会社は組合を脱退しまたは除名された者を解雇する。但し、会社がその解雇を会社運営上重大な障害があると認めた場合及び解雇が適当でないと認めた場合は会社と組合は協議決定する。」と定めてあつたのであるが、右労働協約は昭和三九年八月四日付で組合から解約の予告がなされ、労働組合法一五条所定の九〇日を経過した同年一一月三日以降はその効力を失つた。会社が原告に右解雇の意思表示をしたのは昭和四〇年八月二四日であるから、右労働協約失効後であり、従つて右労働協約前文五条に基づく解雇は根拠を欠き無効である。
(二) 組合が原告に対してなした前記離籍処分は、原告が当時すでに会社を相手方として提起していた本件雇傭契約存在確認等請求訴訟事件の結着をみるまでは、会社が原告に対してなした前記懲戒解雇問題について組合は関知しないということであり、組合がその旨の意思表示の手段として、これに「離籍」という名称を用いただけのものであつて、「離籍」という文言ないしこれに関する規定は、組合規約、労働協約のいずれにもなく、右離籍は除名とは異るものである。
除名については、組合員に対する制裁の一として組合規約によりその事由が定められており、かつ組合大会における承認手続が必要とされている。
仮りに、右離籍が除名であるとしても、組合は各組合員と会社との間の雇傭契約について、組合員に代り、一方的にこれを解約する権利はないのであり、従つて組合が会社との間で原告の退職を協定しても、原告がこれを承認していない以上原告はこれに拘束される理由はなく、原告が右協定事項に従わなかつたとしても、何ら組合から除名される理由はない。その他原告には組合規約に定められた除名理由がなく、組合も勿論除名の手続をしていない。従つて、仮りに前記労働協約前文五条が有効であるとしても、原告に対する組合の除名は有効になされていないのであるから、右条項は適用される余地がなく、同条項に基づく前記解雇は無効である。
(三) 会社は前第三項記載の経緯から明かなように、原告に対する前記懲戒解雇が無効であることが明白になつた段階において組合との間で原告退職の協定を結び、これによつて組合をして原告を組合から除外させ、すなわち原告の組合員資格を剥奪させたうえで会社組合間のユニオンシヨツプ協定を適用し原告を会社外に放逐しようとし、組合から原告を離籍した旨の通知を受けるや直ちにこれを除名と同様に扱い、労働協約前文五条を適用して解雇の挙に出たものであつて、会社が右手続をふんで原告解雇にまでもつてきたのは、会社の組合に対する支配介入工作であるから労働組合法七条一号、三号に該当する不当労働行為である。また、被告が原告に対し右解雇処分をした真意は、原告が積極的組合活動家であることや原告の思想、信条を嫌悪し、原告を企業外に放逐して会社の意にそう組合を作り上げようとする意図に基づくものであつて、この真意は原告に対し前記懲戒解雇をした真意と同一であり従つて、右解雇は前記懲戒解雇に関連した一連の不当労働行為である。
よつて、この点からみても被告の原告に対する昭和四〇年八月二四日付解雇は無効である。
五、原告は昭和四〇年八月二四日解雇処分に付せられる以前の三カ月間、会社より平均一カ月一八、一七八円の賃金を毎月二〇日支給されていたものであるが、右解雇処分の翌日以降就労を拒否され賃金の支払を受けていない。
よつて請求の趣旨記載の判決を求める。」
と述べ、被告訴訟代理人は請求原因に対する答弁及び主張として、
「一、請求原因第一項の事実中、会社が原告主張のとおりの株式会社であること、原告が原告主張の日に会社に入社し、主張の組合の組合員であり、主張の月に組合の執行委員になつたことは認めるが、その余の事実は知らない。
二、同第二項(一)の事実中、会社と組合との間に労働協約が締結されており、昭和三五年四月一四日及び昭和三七年一月一二日にそれぞれ覚書が交わされていること、会社が原告主張の新機械を導入することとし、昭和三八年一月二一日これを据付けて運転を開始したこと、同年三月一五日、五〇〇グラム職場の女子作業員三〇名が午後零時一五分頃から同零時五〇分頃までの間集会を行つたこと、同月一九日工場委員会が開かれたことは認めるが、原告が同月一五日の右集会に、組合書記長の指示に基づいて参加したことは争い、組合が会社の新機械運転実施に対し斗争を組み、これに関する機関決定を行つたこと、一キログラム職場の女子作業員、五〇〇グラム職場の女子作業員が原告主張の日時に始業前の職場討議を行つたこと、同月一五日、五〇〇グラム職場の女子作業員が集会を行つたことが組合の指示によつたものであること、組合執行委員会が原告主張の頃スト権確立のために討議を続けていたこと、同月一九日以降職場討議を打切つたことはいずれも知らない。
同項(二)の事実中、夏期一時金支給問題に関し、組合が原告主張の日時に無期限ストを行つたこと、前同年六月三〇日萩原専務の乗用車が工場正門に到着したこと、高橋組合執行委員長の指示によつて同専務を入門させたことは認めるが、同日午後一時二〇分頃組合が工場正門前にピケを張つていたことは知らない。同項(三)の事実中、会社が昭和三八年七月二九日、高橋義男、木村基らに対し懲戒処分を行つたこと、その懲戒の程度、原告を同日原告主張の理由で懲戒解雇したことは認める。
同項(四)の事実は争う。
三、請求原因第三項の事実中、組合執行委員長が原告に対して、原告主張のような離籍の勧告をしたことをのぞくその余の事実は認める。
四、同第四項の事実中、組合と会社間の労働協約前文五条に、原告主張のとおりの定めがあること、右労働協約が組合の破棄通告により、昭和三九年一一月二日付で消滅したことは認めるが、その余は争う。
五、同第五項の事実中、会社が原告に原告主張のとおりの賃金を支給していたことは認める。
六、会社は組合との間の請求原因第三項記載の和解において、原告に対する昭和三八年七月二九日付懲戒解雇を撤回することとなり、昭和四〇年八月二日川崎工場において原告に対し口頭で、同月一六日原告に対し改めて書面で右解雇を撤回する旨の意思表示をし、なお、右和解において組合に対し解決金として会社が支払うべく定められた一、〇五六、七七三円を同月七日組合に交付し、和解条項に基づく会社の義務を全て履行した。
会社の原告に対する右懲戒解雇撤回は無条件でなされたものであり、従つて原告と会社との雇傭契約存在確認を求める本件訴訟は、訴訟物を欠くに至つたものであるから却下を免れない。
七、前記労働協約は原告主張のように昭和三九年一一月二日付で消滅したが、会社と組合は同月一日左記覚書を締結した。
記
(一) 今後は労使双方共新労働協約締結促進のため最大の努力をすること。
(二) 新労働協約締結に至るまでの暫定措置として、成文化され、または成文化されていない労使諸慣行を尊重することを相互に確認する。
(三) 右記は概ね一カ月毎にその経過を観察し、改めて確認の意思表示を行うこと。
よつて、会社、組合双方はこの覚書により新たな労働協約締結に至るまで、従前の労働協約に規定されていた諸慣行の拘束を受けることとなつた。なお、組合も右従前の労働協約中、人事規定が現在も有効に存続することを自認しているものである。ところで、会社は昭和四〇年八月二日、原告に対する前記懲戒解雇を撤回したが、同月二一日組合より、原告を離籍した旨の通知を受けたので、労働協約前文五条に基づいて、改めて同月二四日原告に対し解雇の意思表示を行い、解雇予告手当二〇、五五四円を提供したが、右予告手当は原告が受領を拒絶したので、同年九月一七日これを横浜地方法務局川崎支局に供託した。
八、原告は昭和四〇年八月二四日付の解雇が、昭和三八年七月二九日付懲戒解雇に関連した一連の不当労働行為であると主張し、これに関し、右懲戒解雇が不当労働行為である理由として種々主張しているので、以下この点に関する被告の反論を述べる。
(一) 会社、組合間には労働協約の外、原告主張の昭和三五年四月一四日付「身分差問題に関する覚書」なる協定が締結されその第七項に「今後更に一層全員一致協力し身分差問題の早期解決完了実施を容易円滑にするためにも企業の合理化、生産意欲の向上、能率の増進に努めるとともに、労使の協力関係―合理化、生産意欲の向上、能率の増進―については、工場委員会において事前に協議するものとする」と規定されていた。しかし、新機械の導入につき、常に事前協議を要するということは、労働協約中にも規定されていないし、右覚書第七項も、極めて抽象的規定にすぎず、新機械の導入についての事前協議の具体的義務を課しているものではない。
ついで、会社、組合間に協定された昭和三七年一月一二日付覚書では、労働条件に変更を生ずる配置転換については労使協議のうえ決定することと定められたので、ここにはじめて新機械の導入につき労働条件に変更を来す配転を伴う場合に具体的に協議義務を生ずるに至つたものである。
(二) 会社は生産数量の増加に対応するため原告主張の新機械、略称R・H・Cを購入、設備することとし、昭和三七年一二月二一日工場委員会で第四、四半期の生産計画を説明して、R・H・Cを導入して増産に対処すべきことを説明したところ、組合もこれにつき会社に種々質疑のうえ、早くR・H・Cを入れてほしい旨述べた。そこで会社は昭和三八年一月一四日これを入荷、同月二四日工場内に据付けて運転に入つたところ、組合がこれにつき、同年一月一九日人員配置に変化ある場合は当然事前協議すべき旨申入れてきたが、会社は、一台の据付けの段階では、従業員の配置転換を生じないのみか、従来両手、両足を使用していた作業が、R・H・Cの導入によつて両手のみの使用で事足りるので何ら労働条件に変更を来すものでないため、組合の申入れる事前協議を必要としないものとして、その旨回答した。会社は、組合の前記申入れ後開かれた同年二月一四日の工場委員会では、右据付けにかかる一台については試験的運転の結果の資料に基づいて協議すべきことを明かにし、組合は、試験と称して事前協議を延ばされることは忍べないと応酬したものであつて、右機械の据付、運転を会社が一方的に実施したのではないのみならず、既に試験の結果によつて協議する旨を会社は明かにしているのであるから、組合が春斗の一環として斗争手段を講じて解決すべきものではなく、単に協議の日を何時にするかが問題となつていたにすぎない。しかも、右の日時についても組合は同年二月二七日、三月八日までに会社が資料を検討のうえ結論を出して組合と協議することを申入れていたものであつて、差迫つた急迫の情勢を見出し得ない状況であつたのである。
(三) ところが、前同年三月一日、組合員の一部にビラが配布され翌二日午後職場離脱の空気が看取されたので、工場長は組合幹部に職場離脱の中止を要請しようとしたが、執行委員は原告をのぞいて全て退社後であつたため、工場長は更に同月二日執行委員長に対し、職場離脱の中止を申渡すとともに、組合の申入れどおり同月八日までにR・H・Cの資料を検討して結論を出す旨を約したところ、同委員長もこれを諒とした。従つて、この段階においては事前協議につき会社、組合間に何らの紛争もなかつたといえるのである。
しかるに原告は、
1 昭和三八年三月四日から同月一三日まで日曜日を除く九日間、精製塩一キログラム包装班の女子従業員を二三名の範囲で、毎朝就業時に一〇分ないし一三分間の職場放棄をなさしめ、
2 同年三月一六日食卓塩五〇〇グラム包装班の女子従業員三六名に、同日朝の就業時に一二分間の職場放棄をなさしめ、
3 同年三月一五日前記2の行為をさせる目的で同右班の女子従業員約三〇名を許可なく倉庫生産作業場に集め、午後零時一五分から同零時五〇分頃まで約三五分間の無届集会をなし、
4 同年六月三〇日午後一時二〇分頃、会社専務萩原虎雄が組合執行委員長の要請により、同委員長と工場において夏期一時金要求に伴う斗争に関し面談するため工場正門より入門しようとしたところ、他の組合員をしてピケを張らせ、同専務の入門を阻止すること約一〇分間にわたつた
ものである。
原告は、右1ないし3の行為はいずれも組合機関の決定に基づく正当な組合活動であると主張するが、労使間に顕著な紛争もない状態において、組合が機関決定して争議行為類似の行為に出る必然性も存在せず、これに関する何らの通告も会社は組合から受領していないのであり、このような状態のもとで原告指揮のもとにほしいままに職場離脱が行われ、会社の許可なくして施設内の集会が行われたことは規律違反の甚しいものであつて、原告の所為中1、2は就業規則六六条九号、六五条三号、六号に、同3は同規則六六条九号、六五条四号に該当し、また同4は同規則六六条九号、一一号、六五条三号後段に該当するので、会社は原告を懲戒解雇に処したものである。
なお、原告は入社に際し会社に対して、従前勤務していた富田鉄工所が小企業であり、将来の安定性に乏しいから会社に勤務したい旨述べ、同鉄工所の社長より勤務中の行動に関し責任を問われ、兄を通じて退職を要求されていた事実を秘匿して会社に雇傭されたものであり、これが昭和三八年七月上旬会社に発見されたのみならず、右鉄工所入社年月日をも詐つたものであつて、これらは就業規則六六条四号に該当するので、会社はこれらも懲戒解雇の理由として挙げたのである。」
と述べ、原告訴訟代理人は被告の主張に対し、
「一、被告の主張第六項について
会社は、昭和三八年七月二九日付の懲戒解雇を撤回したにしても、原告の会社従業員としての地位については、昭和四〇年八月二四日の解雇をもつてこれを否定する立場をとつており、原告は同解雇が右懲戒解雇に関連した一連の不当労働行為であるとしてその無効を主張しているのであるから、依然として原告と会社間に紛争は存在しており、原告が雇傭契約存在の確認を求める本件訴訟の訴訟物は消滅してはいない。
二、同第七項について
会社と組合間に会社主張の覚書が交わされたことは認めるが、この覚書により労働協約前文五条が昭和三九年一一月三日以降も効力を有しているとの点は否認する。
会社と組合間のユニオンシヨツプ協定は、労働協約前文五条としてはじめて存在するに至つたものであり、慣行として存在したものではない。
前記覚書にいう慣行とは、団体交渉における交渉人員、手続等についての慣行等を指すものであつて、ユニオンシヨツプ協定がこれに含まれるものでないことは明かである。
三、同第八項について
(一) 昭和三五年四月一四日付の覚書は昭和三五年春季斗争において組合が身分差―社員、工員の身分差―撤回を要求して斗争した総括として、会社本社において作成されたものであり、従つてこれ以後新しい機械の導入について会社と組合は工場委員会において事前協議をなしてきた。また、昭和三七年一月一二日付覚書は、昭和三六年一二月末に組合書記長であつた中村茂雄が、品質管理係から現場第二工場へ会社の一方的意向で配置転換されたことに端を発し、これを不満とした組合が会社との間で右配置転換撤回の団体交渉をもち、昭和三七年一月一一日に団体交渉の席上、右覚書のとりきめがなされ、翌一二日書面に作成されたもので、その内容は会社主張の新機械云々のこととは関係なく、従業員の配置転換とこれに付随する事項及び同年春季斗争で未解決のまま留保されていたパートデーの問題がその内容である。
右のとおり、右二つの覚書の関係は後者が前者を具体化したという関係ではない。
(二) 昭和三七年一二月二一日に工場委員会で会社の説明を受けたことはあるが、組合が早くR・H・Cを入れてほしい旨述べたことはない。組合は右説明を受けたので、直ちに翌二二日副執行委員長をしてR・H・C導入に伴う人員配置、標準生産量等につき事前協議すべき旨会社に申入れさせたのであるが、会社はその必要なしと回答した。
昭和三八年二月二四日の工場委員会において、テストをやらねば協議に応じられないとの会社側の発言はあつたが、これは協議することを約束したものでない。会社は一貫して協議の必要なしとの主張を変えなかつたのであり、これに対し組合は会社の一方的な運転実施により職場の組合員の中に、労働強化、作業の変化などから来る不満、不安が増大し、その解決を迫られている状況にあつたので、もはやテストの段階ではないとして即刻事前協議を行うよう要求したのであつて従つて単に協議の日を何時にするかが問題になつていたにすぎないという状況ではなかつたのである。
会社主張の二月二七日とは副執行委員長が工場長に対し協議を要求した日であり、三月八日という期日は、三月二日の工場長、執行委員長間で工場長から「組合が妥協するなら三月八日頃までにまとめたい」との申入れがあつたときに出た日時であつて、会社が組合に対し右両日時までに結論を出して協議するなど申入れたことはない。
(三) 工場長が前同年三月二日執行委員長に対し、同月八日までにR・H・Cの資料検討のうえ結論を出す旨約し、組合がこれを諒とした事実はない。同月二日は工場長より前記申入れがあつたのみで、このことは同日午後の執行委員会で拒否されている。
前同年六月三〇日の萩原専務の入門理由については、組合は何ら関知しなかつたことである。
組合が争議行為に出る必然性もなく、これに関する何らの通告も会社にしていないとの会社の主張事実は否認する。同年三月二日午後零時四五分頃、組合書記長は請求原因第二項(一)記載の同日付執行委員会の決定と、なお同日執行委員会において同日午後零時五〇分より時間内職場討議を実施する旨決定していたのでその決定をも併せて、会社工場長及び事務課長に通告している。」
と述べた。
第三、証拠<省略>
理由
一、会社が原告主張のとおりの株式会社であり、原告が昭和三六年一月一七日会社に入社し、原告主張の組合の組合員となり、かつ昭和三七年六月組合の執行委員になつたこと、会社は昭和三八年七月二九日原告主張の理由(請求原因第二項(三)記載)をもつて原告を懲戒解雇する旨の意思表示をしたが、次いで遅くとも昭和四〇年八月一六日原告に対し右懲戒解雇を撤回する旨の意思表示をしたことは当事者間に争いがない。
会社は、会社が右懲戒解雇を撤回したことによつて、原告が会社との雇傭契約の存在確認を求める本件訴訟の訴訟物は消滅し、従つて右訴は却下されるべきものと主張し、原告が本件訴訟で当初は右懲戒解雇の無効を主張していたことは当裁判所に顕著な事実であるが、本件雇傭契約存在確認の訴の訴訟物は、原告会社間の昭和三六年一月一七日付雇傭契約に基づく原告の雇傭契約上の地位であつて、原告のなした右懲戒解雇無効の主張ではないのであり、この主張は右雇傭契約が消滅したとの抗弁を会社が出した場合に備えて原告から出された再抗弁にすぎないから、会社が右懲戒解雇を撤回したからといつて前記訴訟物が消滅するものでないことはいうまでもないし、また、会社の右訴訟物が消滅したとの主張を、原告の前記確認の訴につき確認の利益がなくなつたとの主張であると解しても、会社が右懲戒解雇を撤回した後の現在なお原告の会社従業員たる地位を争つていることは弁論の全経過から明白なところであるから会社の右主張が理由がないことは明かであつて採用の限りではない。
二、組合が昭和四〇年八月二一日原告に対し、原告を組合より離籍した旨の通告をし、同日会社に対し原告を離籍した旨通告したこと、会社は同月二四日原告に対し労働協約前文五条を根拠に解雇する旨の意思表示をしたこと、右労働協約前文五条が原告主張のような定めをしたものであり、少くとも昭和三九年一一月二日までは会社、組合間に有効に存在していたこと、は当事間に争いがない。
そこで右労働協約前文五条が右解雇のなされた昭和四〇年八月二四日当時も効力を有していたか否かはさておき組合のなした右離籍処分の意義、効力について検討する。
組合が昭和三八年一〇月三〇日、会社及び会社川崎工場工場長千藤政男を被申立人として神奈川県地方労働委員会に対し原告主張のような救済命令の申立をしていたところ、昭和四〇年八月二日、右地方労働委員会において会社と組合との間に和解が成立し、原告が右同日会社を退職する旨の協定が結ばれたことは当事者間に争いがなく、成立に争いのない甲第二三号証、原本の存在及び成立に争いのない甲第二九号証及び乙第七号証、証人高橋義男の証言により真正に成立したと認められる甲第二二号証、証人高橋義男、同藤井金丸の各証言、原告本人尋問の結果によると、組合は昭和四〇年六月三〇日執行委員会(当時拡大斗争委員会と呼ばれていた)において、前記協定条項を含めた和解案を組合が受諾することを決定したこと、原告は右和解案受諾については反対の立場をとつており、組合が会社と和解しても、原告自身は、自己がさきに前記懲戒解雇処分を受けたことに端を発して提起していた本件訴訟で会社と争訟していく旨主張していたこと、組合は前記和解成立後は会社に対して原告を退職させるべく説得する義務を負うに至つたため、原告に対して会社との右斗争に関し援助するわけにいかず、そこで組合は、原告、会社間の前記訴訟の結着がつくまで前記懲戒解雇問題について関与しないこととし、ただ、原告が組合員である限り、組合員の利益を擁護するという組合の目的と、組合が前記のように会社との関係上、原告を援助しない立場をとることとの間に矛盾が生ずるのは免れないので、これを避けるべく原告の組合員としての籍をはずさせることにし、前同年八月一四日原告に対し、「離籍を勧告する」旨通告して、その旨の意思表示を行つたこと、ところが原告がこれに応じなかつたので同月二一日前記のように離籍処分にした旨原告に通告したものであるが、組合としては右意思表示により、原告に以後組合員としての権利行使を認めないと同時に組合員としての義務を免れさせる効果があると考えていたことが認められ、この認定を左右する証拠はない。
そうすると、前掲甲第二二号証、証人高橋義男の証言、原告本人尋問の結果によれば、組合規約には「離籍」という文言や、離籍に関係する規定は何もなく、組合員に対し前記のような離籍処分をしたことはそれまで一度もなかつたこと、組合規約には除名に関する規定があり、除名の手続として組合大会の承認その他をなすべき旨定めていたが、組合は原告に対する前記離籍処分を除名とは別個のものと考えていたので、これにつき除名の手続は何らとつていないことが認められるけれども、組合の原告に対する前同年八月二一日付離籍処分は、組合が原告に対し、その意に反して組合員たる資格を剥奪し、組合から排除する処分であるから、その名称の如何をとわず、また、組合が主観的にどう解していたか否かに関係なく、実質的には除名処分であるとみることができる。
三、従つて、また、組合は原告に対し前記離籍処分により原告が組合のした組合、会社間の前記和解案を受諾する旨の決定に相反する行為をなしたことを理由に除名処分に付したものとみられないこともないので、これを理由とする除名が正当なものであるか否かをみるに、労働組合が特定の問題について、総会の決議その他の正規の手続によつてその意思を形成した場合に、組合員が右形成された意思に拘束されるということはできるが、労働組合がその意思決定によつて組合員を拘束できる事項は、労働組合の内部において組合が統制し得る事項に限られると解すべきところ、元来、労働組合の構成員たる労働者が使用者との雇傭契約上有する権利は個々の労働者にのみ帰属し、労働組合が当然にその管理処分権を有するものではないのであり、労働者の雇傭契約上の権利は労働組合の構成員に対する統制権の範囲の外にあるというべきであるから、本件のように、組合が会社との間で原告の退職を定めた協定を含む和解案を受諾する旨意思決定したことは、組合の原告に対する統制権の範囲内の事項に関して組合が意思決定したものであるということはできず、従つて原告はこれに拘束される理由はないのであり、原告がこれに従わず、これと相反する行動をとつたにしても、原告には組合の規約または機関の決議に違反した(組合規約七五条一号)とか、組合の統制秩序を著しく紊した行為があつた(同条二号)とか、組合員としての義務を怠つた(同条四号)とか、その他組合員として不適当な行為があつた(同条五号)とかの組合規約の七五条に定められた除名事由に該当する事実があつたということはできない。
ところで、労働組合は仮りにその規約に除名についての定めがない場合でも組合の統制違反その他正当な理由があれば、相当の手続によつて組合員を除名することはできると解されるので仮りに組合が右除名事由を定めた規約七五条が制限列挙規定でないとして考えてみても、前記認定のような原告に対する離籍理由をもつては組合の統制違反その他正当な理由があるということはできない。
四、更に、前記認定のように、組合はその規約において除名については大会の承認その他の手続を要する旨定めているのに、原告に対する前記離籍処分については何らその手続はしていないのである。
五、そうすると、組合の原告に対する前記離籍処分は実質的に除名であるのに拘らず、正当な理由がなく、適法な手続もなされていないのであるから、いずれにせよ無効であるといわなければならない。
六、前記労働協約前文五条のようなユニオンシヨツプ条項が労使間で協定されているとき、労働組合のなした除名が無効であればこの除名に基づいて使用者が当該労働者に対してなしたユニオンシヨツプ条項による解雇が当然に無効になるか否かについては争いがあるところであるが、元来ユニオンシヨツプ協定は労働者の団結権擁護のために使用者に労働組合の部外者を企業から排除すべき義務を課すべく定められるものであるから、同協定に基づく解雇が有効であるためには、それが労働者の団結権擁護のためになされることが必要であるし、この種の解雇は労働組合に対する使用者の協力義務履行として行われるものであるから、労働組合のなした除名が無効であれば右の協力義務は発生せず、無効の除名に基づいて解雇することは団結権の擁護に関係のない、単にユニオンシヨツプ協定に名を藉りた解雇であつて、労働組合法の精神に反し、解雇権の濫用として許されないと解すべきである。
そうすると、仮りに組合と会社との間の前記労働協約前文五条が、会社主張のように、原告に対し前記解雇の意思表示がなされた昭和四〇年八月二四日当時有効に存続していたとしても、右解雇が前記のように無効な離籍処分に基づくものである以上、右解雇は無効であるといわなければならない。
すると、原告と会社との間には同年八月二四日以降も依然として原告を従業員とする雇傭契約が存在しているというべきである。
七、原告が右解雇の意思表示のあつた日以前の三カ月、会社から平均一カ月一八、一七八円の賃金の支払を受けていたことは当事者間に争いがなく、弁論の全趣旨によると、右賃金の支払期は毎月二〇日の約であつたと認められるので、原告に対して会社は右同年八月二五日以降毎月二〇日限り、一カ月一八、一七八円の割合による賃金を支払う義務があることは明かである。
八、以上の次第であるから、原告の本訴請求はその余の点につき判断するまでもなく理由があると認めて認容すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 森文治 柳沢千昭 門田多喜子)